―――――――――ふしだ

同志社設立の旨意 …(同志社の)目的とする所は、独り普通の英学を教授するのみならず、其徳性を涵養し、其品行を高尚ならしめ、其精神を正大ならしめんことを勉め、独り技芸才能ある人物を教育するに止まらず、所謂る良心を手腕に運用するの人物を出さん事を勉めたりき。 而して斯くの如き教育は、決して一方に偏したる智育にて達し得可き者に非ず。唯だ上帝を信じ、真理を愛し、人情を敦くする基督教主義の道徳に存することを信じ、基督教主義を以て徳育の基本と為せり…  …人民の手に拠って設立する大学の、実に大なる感化を国民に及ぼすことを信ず、其生徒の独自一己の気象を発揮し、自治自立の人民を養成するに至っては、是れ私立大学特性の長所たるを信ぜずんば非ず…  一国を維持するは、決して二、三英雄の力に非ず。実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず。是等の人民は一国の良心とも謂ふ可き人々なり。而して吾人は即ち此の一国の良心とも謂ふ可き人々を養成せんと欲す。吾人が目的とする所実に斯くの如し。     明治二十一年十一月 同志社大学発起人 新島 襄  以上が、新島が死の二年前の1888年に発表した「同志社大学設立の旨意」からの抜粋です。「良心を手腕に運用する人物」という言葉は、同志社に通う私たちにとってはよく聞く言葉ですが、自分の個性を遺憾なく発揮しながらも、自分自身の良心によって自らを律することのできる、真の自立性を持った人間になってほしいという新島の想いがこの言葉に込められているのではないでしょうか。 また、新島は「一国を維持するは、決して二、三英雄の力に非ず。実に一国を組織する 教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず。」とも書いています。 国を変える、といえば私たちは普通、政治を大きく動かす力を持った少数の偉い人たちのことを考えますが、新島はそうではなく、国を構成する国民一人一人が変わることこそが国を変えることに繋がるのだと考えることができたのです。「国家に忠実である人間」悪く言えば「国にとって従わせやすい人間」を育成するための教育が跋扈していた時代に、新島は「意思をもって自立した人間」を育てるという信念を貫いたのです。

―――――――――もんばた
レジメの「熊本バンド」の部分をよむ

熊本バンドの学生たちはジェーンズのもとで非常に厳しい教育を受けてきたため、それまでの同志社の学生との学力の差はとても大きかったそうです。
彼らは英語の書物も読みこなすことができ、キリスト教に関する知識も深く、同志社の教育の質の低さや設備の貧しさに失望し、新島の学識の低さを軽蔑したりしていました。
事実、新島の研究はまだまだ未熟で、そのような優秀な生徒たちの質問に答えられないこともしばしばあり、卒業生の一人 小崎弘道は後に「教室は常に討論場と化し去った」と述べています。

同志社の最初の卒業生のうち15人は熊本バンドの学生でしたが、そのうち山崎為徳(ためのり)ら3人が同志社の男子校の教員に、宮川経輝など2人が女学校の教員になりました。
それまで宣教師が教員となって授業を行っていた同志社においては、新島を除いて始めての日本人の教員が彼らでした。
その他の卒業生達も日本各地で教会の設立に尽力し、新島と共にキリスト教のリーダーとして幅広く活躍するようになります。
このようにして熊本バンドの生徒たちは、新島や当時の同志社の学生たちに刺激を与えただけでなく、同志社を内面から充実させていく役割をも果たしたのです。

―――――――――もり
レジメを読む
時には校内で聖書の授業をしている現場を府庁の役人に見つけられ、新島は「始末書」を知事に提出させられたこともありました。
このようにして聖書の授業が公で禁止されても尚、新島はキリスト教主義教育への夢を諦めずに、しぶとく聖書を生徒達に教え続けたのでした。

「同志社設立の旨意」についての説明でも触れた通り、新島が理想とする教育とは、国家に従う人間を育てるためのものとは違い、国家の良心となりえる人間を育てるためのものでした。
自分の目で国を見つめなおし、自分が何をするべきなのかを自分の力で考えられる人を育てるということはつまり、当時の日本の古い体制に対して批判的意見を持つことにも繋がっていきます。そのためか、初期の頃の同志社は自由・自立・自治の気風に溢れていました。教師である新島は生徒に対して威張ることなく、寮生活でさえも生徒達が自主的に決めたとりきめにまかせていて、どれが生徒でどれが先生がわからないほどの自由な校風は、設立初期の頃からずっとそうだったようです。

――――――――――――まとめ

フシダ:
私は今回、初期の頃の同志社について調べてみて、今私達が当然のように通って勉強しているこの学校が、新島襄が苦心して生み出した、非常に有難いものだったと気付くことができました。最近、「一人一人の個性を大切にする教育を」という話をよく聞きますが、新島襄はまだ国民が「国家に仕える駒」であるかのように考えられていた時代から、一人一人の個性を尊重することの大切さに気づいており、しかもそれだけではなく良心によって自分自身を律し、良心や自分の個性を手腕として最大限に活用することで国を内側から支えることのできる人間を作ろうとしていたのですから、本当に広い視野を持った人だったんだなぁと思いました。
今私達は、新島襄が生きていた頃のようなキリスト教差別を受けることもなく、聖書の教えや新島襄の遺してくれた多くの教訓を、何者にも妨害されずに学ぶことができます。この恵まれた機会を決して無駄にはせず、新島襄が理想としたような「自立した人間」になるために、自分の個性やハッキリとした意思を持ちつつも、自分を客観的に見ることのできる視野を持った器の大きい人間になりたいと思いました

モンバタ:





モリ:






これで発表を終わります。